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LIFE STYLE MAGAZINE CREVIA TIMES Learn NO.15

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永山祐子の日本建築再発見

国内はもとより、広く世界を舞台に活躍する女性建築家 永山祐子さん。イタリア出張から戻ったばかりというその翌朝、彼女は再び機上の人に。舞い降りた先は鳥取空港。そこからレンタカーに乗り換え、日本海沿いの道を西へとひた走る。目的地は、投入堂の名で知られる三佛寺奥院。706年、三徳山の断崖に、役行者によって建てられたという国宝指定の古刹である。1,300年の時を超え、自然と共生してきた建築の姿を自分の目で見たい――そんな思いを胸に、彼女は険しく切り立った山道を、一歩一歩踏みしめるように進んだ。

1975年、東京都生まれ。昭和女子大学生活科学部卒業後、1998〜2002年、青木淳建築計画事務所勤務。2002年、永山祐子建築設計設立。代表作に〈YLANG YLANG〉〈ルイヴィトン京都大丸店〉〈丘のある家〉〈anteprima plastiq六本木ヒルズ店〉など。ヨーロッパやアジアでも、プロジェクトを抱える。主な受賞に2006年イギリスAR Awards「Highly Commended賞」、2007年MFU「ベストデビュタント賞」ほか。

http://www.yukonagayama.co.jp/

  1. 東京国際空港を発ってから、わずか1時間15分。あっけない程のショートフライトののち、建築家 永山祐子さんは、真夏の太陽が照りつける鳥取空港に舞い降りていた。出迎えてくれたのは、あの鳥取砂丘の砂でできた「ようこそ 鳥取へ」のオブジェ。まずは観光気分で記念撮影をしたのち、レンタカーに乗り込む。目指す先は、東伯郡三朝町三徳山の名刹、投入堂。以前、雑誌で見てから、いつかは行ってみたいと思っていた日本最古級の木造建築である。何がすごいかというと、どこの誰が、いったいどう建てたのか、深い山間の切り立った断崖絶壁に、張り付くように建っていること。実際、この三徳山を登るには入山手続きが必要なほか、過去に何度も滑落事故が起きているため、単独行動も御法度。投入堂参拝は、「入峰修行」と見なされ、貸与される輪袈裟を着用しなければならない。この先、いったいどんな困難が待ち受けているのか、ワクワクする気持ちの内に、一抹の不安も胸に抱いての旅路の始まりであった。

  2. 三徳山三佛寺の奥の院。本尊は金剛蔵王大権現。慶雲3年(706年)の建造とされ、日本を代表する懸造り建築として国宝に指定される。近づく道すらない垂直な崖に、浮かぶとも建つとも形容しがたい優美な姿で建つ。当時どのような方法で建てられたかなど、いまだに多くの謎を残し、役行者が法力をもって岩窟に投げ入れたという伝説から、投入堂と呼ばれる。









    三徳山本坊三佛寺
    鳥取県東伯郡三朝町三徳
    ☎0858-43-2666
    http://www.mitokusan.jp

  1. 三徳山三佛寺の奥の院。本尊は金剛蔵王大権現。慶雲3年(706年)の建造とされ、日本を代表する懸造り建築として国宝に指定される。近づく道すらない垂直な崖に、浮かぶとも建つとも形容しがたい優美な姿で建つ。当時どのような方法で建てられたかなど、いまだに多くの謎を残し、役行者が法力をもって岩窟に投げ入れたという伝説から、投入堂と呼ばれる。

  1. 参道を上がり、参詣者受付を済ませる。実は、投入堂があるのは山の最奥部。そこに至るまでの山中には、本堂をはじめ、無数の寺社が建ち並ぶ。まずは道中の無事を祈り、手を合わせる。「どうぞ、事故のないように……」 

    急な階段が続く参道を歩きながら、永山さんはさまざまなものに興味を示し、実際に手で触れ、写真に収める。苔生したお地蔵さまに、「いろんなお顔があるのね」と微笑みかけ、水をかけると琴のような音がするという水琴窟にもチャレンジ。旺盛な好奇心が、クリエイティビティの源となるのか。

    すでに汗びっしょりの状態で、ようやく山道入口に到着。入山手続きを行ったのち、住職から入山心得をうかがう。たすき状の輪袈裟を渡され、この先の危険な山道を進むことが、すなわち「六根清浄」(五感に心を加え、そのすべてを浄める)のための修行となることを教わる。永山さんも、いつしか厳粛な面持ちに。

  1. ロッククライミングか!? と、目を疑いたくなるような急峻な坂が、行く手に立ちふさがる。「うそでしょー!」と声を上げながらも、永山さんは決して歩みを止めない。木の根にしがみつき、両手両足を踏ん張りながら、少しずつ上を目指す。 ちょっとでも上体を起こすと、たちまち転げ落ちてしまいそうな急斜面。スタッフ一同、励ましと安全確認の声を掛け合いながら、ごつごつした岩肌を、文字通り這い上がっていく。

    次なる危険ポイントは、上から垂らされたクサリに掴まって岩山をよじ登る、通称「くさり坂」。腰がすくんでしまいそうな難所を前にしても、永山さんの闘志はいっこうに衰えない。「ファイトー!」

  1. 難所くさり坂を登った上に、この世のものとは思えないような絶景スポットがあった! それが投入堂同様、岩肌に沿うようにして建つ文殊堂。ぐるりと廻った縁側は、手すりすらない危険なものだが、眺めの素晴らしさに永山さんの疲れも吹き飛ぶ。「すごい! ここの写真、ケータイの待ち受けにしよう!」

  1. もうひとつの絶景ポイントである地蔵堂を過ぎ、どうやら難所はほぼクリアしたようだ。とはいえ、累々たる巨岩の上に築かれた鐘楼堂には、思わず舌を巻いた。ふと目の前の岩窟に現れたのは観音堂。「こけら葺の屋根が美しい。投入堂も、もうすぐなんですね!」

  1. およそ2時間超に及んだ登山のクライマックス。観音堂を過ぎ、そびえ立つ岩山の角を曲がった先に、投入堂はその神々しいまでに美しい姿を突如現した。永山さんも、静かに胸を打つ感動に、しばし言葉を失って佇む。

  1. 時に危険な、そして体力的にもとても苦しい道程でしたが、こうして無事に辿り着いてみたいまは、とても清々しい気持ちです。まさにカタルシスを得たような感覚とでもいうのでしょうか。入山のときに教わった、「六根清浄」の言葉が、ふっと頭の中に蘇りました。
    山を登るというその行為自体が修行となり、宗教体験になるという、この帰依に至る壮大な演出を、昔の修行僧同様に体験できて、本当によかった! 諦めずにここまで頑張ってきてよかった!――いまは、そんな思いでいっぱいです。
    それにしても、こんな峻烈な崖の中腹に、どうやって投入堂を建てることができたのか?それも、いまから1,300年も昔のことですよ! ひょっとして、崖の上まで資材を運んで、そこから降ろしたのか? 下から運び上げるよりはラクかもしれませんが、ではどうやって崖の上まで? 考えれば考えるほど、謎は深まるばかり。現代の建築技術をもってしても、到底同じものをつくれる気がしません。この投入堂は、まさに奇跡の建築だと思います。
    崖に半分埋まっているような建築。その在り方についても、ショックを受けました。西洋の建築家が見たら、もっと、ひっくり返るほどショックを受けたことでしょう。西洋の石の建築では、重くてとても無理。極限の細さで躯体を支える木の柱は、さらに八角形に面取りされていて、見た目にも繊細で美しい。日本の木造建築は、なんて高度に洗練されているのでしょう!

    投入堂は、これだけ厳しい自然の懐にありながら、スタイルは決してヴァナキュラー(地域固有の形式)ではない。あくまでも、優美な平安時代の寺社建築なのですね。それでも、なおかつ自然と人間の叡智との調和を快い緊張感のもとに体現している点において、優れていると思います。
    背景の自然と一体となった形を見て、ふと思い出したのは、20世紀の巨匠、フランク・ロイド・ライトの落水荘です。大もとを辿れば、この落水荘も、あるいはミース・ファン・デル・ローエのファーンズワース邸も、自然との完璧な調和の中に在る建築の手本としての、桂離宮の再発見から生まれたものです。モダニスムといわれた建築における近代化のムーブメントも、その理想形として見据えた手本が日本の桂離宮だったとすれば、恐らくこれから先の未来においても同じことが予想されます。時間を超えて、日本の建築が形にしてきた自然と人間の叡智との融合は、大切に継承していかなければならない文化にほかならないのです。
    私も、長く残り、長く愛される建築をつくりたいと思います。丈夫な躯体があれば、中の空間はライフスタイルに合わせて都度変えていけばいい。そう思っています。



    京都市西京区桂にある、桂宮家の離宮。入母屋造、こけら葺、書院造を基調としたほか、ところにより数寄屋風の要素を加えた建物は、江戸時代初期の建築文化の粋をいまに伝える。1933年、ドイツ人建築家ブルーノ・タウトによって「再発見」され、モダニスム建築に多大な影響を与えた。



    バウハウス3代目校長を務めたモダニスムのドイツ人建築家、ミース・ファン・デル・ローエによる住宅建築(1950年)。アメリカ イリノイ州に現存する。柱梁構造に基づく自由な空間(ユニヴァーサルスペース)の設計概念は、桂離宮に代表される日本建築に影響を受けているとされる。



    アメリカの巨匠フランク・ロイド・ライトの代表作(1937年)。富豪の別荘としてペンシルバニア州に建てられた。鉄、ガラス、コンクリートを用いた近代建築でありながら、眼下を流れる川の上にせり出し、既存の岩盤を室内に取り込む設計により、自然と建築の絶妙な調和を体現している。

  1. 鳥取といえば、やっぱり砂丘! 三徳山へと向かう途中に、立ち寄ってみた。灼熱の太陽が照りつける鳥取は、折しもこの日、最高気温を記録。一路、大汗をかきながら、観光客に混じって道なき道を歩く。海岸線に並行して走る馬の背までの上り坂は、まさに心臓破りの辛さだったが、目の前に海が開けた景色の爽快さに、疲れも吹き飛ぶ。「ドバイの砂漠に行きましたが、真っ青な海と白い砂とのコントラストは、こっちの方がきれい!」。

  1. 投入堂に至る道程で、永山さんが自ら撮った写真を特別公開!彼女にインスピレーションを与えたのは、こんな風景 でした。

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